釧路に行ってみた
旅行というとその場所の名所なんかを回るのがオーソドックスだと思うのだが、今回は連れがいたのでそうもいかず。なんせ寒いのだ。長く歩いたりしてはブーイングものである。
釧路は一年に一回程度行くのだが、この都市は臨海都市であるためか道路が難しい。何度曲がらなければいけない道を曲がり損ねたことか。。。
釧路といえば和商市場の勝手丼が有名であるが、以前二回行った所の感想を書くと、正直言って居心地が悪い。市場の活気があるのはいいのだが、商売人たちは商品を買って欲しいために色々と言うのである。中には「勝手丼は客寄せパンダで、実際の商品を買ってくれなきゃ上がったりだ。」と言われたこともある。確かにそうかもしれないが、まああんたの店では買わないことは決定という感じである。そんな中で3000円も出して海鮮丼を食べることに対してネガティブな印象が強くなってしまったのである。
そこで今回もインターネット検索を実施。鮭番屋というところがヒット。なんと朝から炉端をやっているとのこと。なんとも観光客向けな雰囲気であるが、実際に観光客なのでまあしょうがない。地元の人のみぞ知る名店なんていうのにはなかなか巡り会えないので大人しくメジャーどころに落ち着こうではないか。
実際に行ってみると、平日だったこともあり観光客はなし。焼きたい物を選んで会計し、それを炉端のコーナーに持って行って焼いてもらうスタイル。この炉端が良かった。焼いてくれる男性が面白い人で「こう焼くのが美味いんだ!」「生牡蠣なんてうまくない食べ方したらいかん!」とまあどれだけ美味しく食べさせてやろうかという気持ちが伝わるのである。こうなると安心して食事にありつけるというもの。もちろん海鮮は美味。まさに釧路という部分を味わうことができたようにも思える。
そういうわけで釧路は長い滞在時間ではないものの、かなり満足度が高い旅となった。また来年も来よう。
以上。
パイプの楽しみ方について
タバコ屋さんに行ってきた。と言ってもタバコは買わず。パイプの9mmフィルターを買ったのである。そこで店のマスターと話をした。いつも長居してしまう。
パイプ初心者の方々はインターネットの知識のみで始めようとする話。自分も全くもって同じ穴の狢であるが。
ある程度こなれてきたパイプスモーカーとしてはパイプ葉の管理だとか、吸い方のコツくらいは抑えた方が良いと思う。というかここは押さえておかないと吸えないのである。
自分の実情を話してしまえば、パイプに葉っぱを詰めるのは下を柔らかく上はキツくのオーソドックスなやり方は守っているが、なんちゃらメソッドみたいなのは全く行っておらず適当である。また、1時間も何もしない時間はあまり無いし、そんなにずっと吸ってられないから1日か2日がかりで1ボウル吸うなんてのもザラである。フィルターももちろん使う。
もちろん、ネットに書いてあるやり方が理想だと思うし、フィルターが無い方がタバコ本来の味わいはあるだろう。しかしながら、まずはパイプスモーキングが楽しいかどうかではないか。自分に合った使い方はできているのだろうか。無理にロングスモーキングをしていないだろうか。無理に煙の熱さや苦さを我慢していないだろうか。掃除も無理にやらなくても良いし(たまにはした方がいいけど)、カーボンも気になってくるまでに相当時間がかかるし、壺型についちゃったらリーマーで削れば良いじゃない。
まずパイプスモーキングが日常になるところが楽しみの第一歩だと思う。そこからがまたディープなので、焦って楽しみを消費しては勿体ない。タバコはゆっくりと吸うもの。実際のブローを調整する事だけがその意味ではない。
もっと沢山の人が気軽にタバコを楽しめたら良いなぁと思いました。
以上。
じいさんの受診付き添い
今日は朝に母から依頼を受け、施設入所中のじいさんの受診に付き添っている。ほとんどの施設は施設職員のみで受診すると思うのだが、しかたない。
じいさんとは実際に祖父だからである。母も父も仕事があるので対応できない中、今日は暇を持て余している孫に白羽の矢が立った訳である。
旭川市立病院に着くとそれらしき福祉車両が目に入った。見ているとそれらしき人物が降りてきたので追いかけて顔を見に行く。
車椅子に施設の名前が書いてある。間違いない。
間違いないのだが、どうもこんなじいさんだったか自信が持てず声を掛けられない。意を決して近くにいた施設職員の方に声をかけてみた。どうやら正解だったようだ。しかしこんなじいさんだったか。ちょっと見ないうちに随分と衰弱していた。
受診とはかくも時間がかかるものなのか。10時にきてもう14時だ。というのも検査を行うとなったためであるが、まさに待ちくたびれた。
じいさんに話しかけると、思いのほか喋りは元気である。何かしら良いところがあると家族としては嬉しいものなのだと思った。
付き添いの職員に聞くと、健常なものはもう食べる事が難しいのだと言う。プリン食、お粥、とろみのついた飲み物。可哀想だとは思うが、施設職員として仕方ないという思いもある。
なんとも言えないが、いつのまにか祖父は生かされる存在になっていた。最新の医療と福祉というのは人の人生を豊かにしてくれるものである。しかしながらその仕組みを使わねば一家総崩れになってしまう。
仕方ないが受け入れるしかないなぁと、深い問題を浅く考察して今日が半分終わった次第である。
帰ったらタバコでも吸おう。