こんな夜更けにバナナかよ

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ローソンに売ってたので買ってみた。どうやら原作では無く、映画のノベライズらしい。

 

まだ最後までは読み終えていないが、何とも素晴らしい作品である事は間違いない。福祉領域で働く人間として大事な事が面白く描いてある。重要なのは“書いてある”のではなく“描いてある“という事なのだ。

 

教科書や参考書を開けば「相手の気持ちになって」だとか「相手を否定しない」などという事が書かれている。しかしそれがどういう意味なのかを知る事は実際に働く中でさえも感じる事は難しい。この半フィクションの方の『こんな夜更けにバナナかよ』ではそれが描かれている。

 

障害とは何なのか。僕の経験から言うならばそれはレッテルである。これは子供に置き換えると理解がしやすい。

 

子供というのは自立出来ていないというレッテルを貼られた存在である。子供だから危ないとか無理だとか抑制されてしまう。確かに守るべき存在だし、経験不足が危険を招く事もある。しかし大人には出来ない事がたくさん出来る存在でもある。

 

障害者と言われると自立出来ていないという印象を持ってしまう人は少なくないのではないだろうか。でも実際には自立できる人がとても多くおられる。障害者だから危ない、無理。わがままを言うな。大人しくしていなさい。と自立を制限されている人のなんと多い事か。その方は僕たちにできない事をたくさん出来るかけがえのない存在なのに。それが自分らしさという物なのに、押さえ込まれてしまっては…。

 

障害者たちが他の人に迷惑をかけると思うのは至極自然な事である。しかしながら、障害者になったから迷惑をかけるのではなく、障害者になったから周囲の助けが分かりやすい物になっただけでは無いかと思う。日本人は性格上迷惑をかける事を忌避するので、迷惑だと言われると引き下がらざるを得ない。「○○をすると迷惑をかける」とネガティブな方向ではなく「助けがあれば○○が出来る」というのが正解ではないか。正に言葉による呪縛とでも言うべき、忌むべき言葉である。迷惑だなんて迷惑である。

 

自分の人生を自分の為に使うこと。なぜ障害を持ってしまったらそれが他人の迷惑になると言われるのか、甚だ疑問である。障害を持ったとしても、前を向いて自分の人生を歩いていける。医学の発達や福祉の拡大、障害者たちの努力でそれが実現できる時代になっている。あとは僕たちの認識が変われば。そう思う次第である。

 

うーん。考えは纏まらず散文駄文。

自分はリハビリを生業としているが、その本質を治療手技に限定せず、人が人として生きていく助けをして行きたいと思う。

 

話は逸れたがこの本は大変読みやすく、かつ他人に貼ってしまった障害者というレッテルを剥がすのにとても良い1冊である。

 

以上。